「58年前の夢」 |
警察の裏庭が小学校の低学年の頃の遊び場だった。
コンクリートの塀に囲まれた敷地は小学生の目には広大な野球場のように思え、
打球がその塀を越すのを夢見て、
休日にはバットとボールを持ってよく遊びに通ったものだ。
テーマが浮かばず、ぼんやりと背凭れを倒し、窓から空を眺めていた。
午後5時を過ぎた空は濃い水蒸気に覆われ、鈍く澱んでいる。
先程飲んだコーヒーも全く用をなさず、次第次第に瞼を堪える気力も失せ、
鈍色の空に引き込まれるように、何時しか眠りに落ち込んで行った。
「もう少し腰を沈めて、強く振れ!」
兄の声が聞こえて来た。
俺は一生懸命に振るのだが、何せ兄のバットは重い。
4歳年上の兄は小学6年生で、既に体はそこそこ出来ている。
それに比べ俺はモヤシのようにきゃしゃな体だ。
それでも頑張った。
塀を越すのが夢だったからだ。
何かを会得した訳ではないが、或る日から打つ度に打球が塀を越えるようになった。
しかし、それはそれで、一々警察署の表玄関を抜け、塀の外の田圃へと、
ボールを探しに行かねばならなくなるので、嬉しい反面、大変面倒なのである。
そんなこんなで、熱も何時しか冷めてしまい、
あれ程お世話になった警察へも行かなくなってしまった。
只後年、バイクの無免許運転で一度お世話になったのだが、、、
白いボールがコンクリート塀を飛び越えて行く様子が
何度も何度も薄ぼんやりとした記憶の中でリプレイされている時、
電話の音で目を覚された。
セールスの電話だったが、腹も立たなかった。
58年も前の記憶にありがとうと言いたいくらいだ。