「工夫が足りん」 |
ここ数日全く文章が書けない。
下準備もなく、ぶっつけ本番を1200日近くも続けているのだから、
どだい無茶な話である。
何時止めてもいい。
そう、心の中では保険を掛けている積もりだが、
いざとなると、拘りという感情が擡げて来る。
これが中々始末に悪い。
日常、拘りという言葉をよく耳にする。
「うちの店は新鮮な・・・に拘って、料理をしています」 と云う風に、
どちらか言うといい意味で使われているみたいだが、余り好きな言葉ではない。
商売であれば、他店との差別化を図るためにいろいろ工夫する。
当たり前の事であり、黙って、自分が望む事を粛々と遣り続ければいいことである。
殊更自らが吹聴するべき事ではあるまい。
他人様が如何評価しようが知った事ではない。
好ければ繁盛するだろうし、悪ければ去って行くしかないであろう。
去る事は怖い。
だから、工夫するのである。
自分が書く文章などは拘るというレベルにも達していない。
只只、連続更新という言葉に束縛されているのである。
内心、一寸した自惚れは正直ある。
しかし、それは文章にではなく、連続という行為に対してである。
だから時折嫌になるし、苦しむ。
いい文章を書きたい。
それが本音である。
いろんな本を読み、自分なりに取り入れてはみるが、上手く反映出来ない。
寝る前に 「How to 本」 を読んだくらいの事でいい文章が書ければ、
世間はベストセラー作家で溢れ返るであろう。
ブログを始める前に読んだ本には、
兎に角毎日書く、それも一日八百文字を目標とする、と書いてあった。
それを出来る限り守ってきた。
その所為か、何とはなしに書けるようにはなったが、其処で留まっている。
意表を突いて読者をびっくりさせ、やがて共感を呼び起こさせ、そして最後にウンと頷ける。
そんな文章を書きたいのだ。
毎日、そう思いつつキーボードを叩いている。
拘る処が間違っているのだろうか?
それすら分からない。
そしてまた同じ事を繰り返している。
明日もまたその繰り返しであろうか。
工夫が足りんのだろうなぁ、きっと。