「音像」 |
人は厄介なものを持っている。
頭脳、頭のことである。
意識といってもいい。
形がないものを「形はある」と思い込む。
確かに、その人の頭の中には存在している。
自分もそうだから仕方がない。
例えば100人のミュージシャンがいれば、100人各様の求める音がある。
一人一人自分の音を追い求める。
音のイメージを求めている。
音は消え去り、何も残さない。
頭の中にいいイメージだけを残して去って行く。
いくら、「そんな物はないんだよ。早く頭を切り替えて、新しい音を探そうよ」
と繰り返し説得しようが、頑として動かない。
まるで性悪女に引っ掛かったようなもので、
ちとやそっとで「はい、そうですか」と引き下がる筈もない厄介な代物だ。
そのイメージを言葉で語られても、他人には分からない。
どの様な例えを持ち出され、説明を与えられようが、分からないものは分からない。
ただし、ここからはプロ同士の話となってくるのだが、
会話を進めていけば、少しずつ、少しずつの摺り合わせは可能となる。
お互いその道で飯を食っているということは大きな事実。
先ずは、じっくり話を聞くことから始まる。
互をリスペクトしなければ相互理解は進まない。
こういう場合、経験則が物を言う。
プロとは経験という何者にも代え難い引き出しをより多く持っている。
そこから手繰り寄せれば、大方の方向性は出る。
後は「お任せ」の一言が出せるか出せないか。
と言う話を先日吉田次郎氏と一杯飲みながら語り合った。
彼は現在使っている00-SC 14th Nylon絃が大のお気に入り。
このギターと同じ音がするサブが欲しいという。
気持ちは分かるが、俺は音を進化させて行くのが自分の使命だ、
それは無茶な話だと突っぱねる。
それより進化した音に慣れろと説得する。
彼は彼であの手この手で攻め立ててくる。
所詮ギターは道具である。
使う人の要求には負ける。
直近に仕上がったギターを試し、弾いた。
弾き心地は満点。
音も綺麗に洗練されている。
しかし、自分の求める音ではない。
もっとドライなニュアンスが欲しいという。
要は最初に戻せと言っている。
設計変更したポイントは頭に入っているので、スペックでは戻せる。
しかし、全く同じ木は存在しない。
「極力、近づけるとしか言えない」
「それでいいのか?」
念押しをする。
「それでいいです」
「お任せします」
「じゃ、これで乾杯やなぁ」
目出度し、目出度しなのだが、頭の中は素材選定の事に思いを駆け巡ぐらせている。
スペックを戻しても、音は復刻できない。
しかし、きっちりと元の音像は頭に刻み付けてある。
それに従うのみである。