「危機管理」 |
危機は何時何処にやってくるか分からない。
不測のことである。
と云う事は危機を管理することなんて出来ない。
もし、管理する事が出来るようなものであれば、それは危機ではない。
そういう理屈で考えると、今の経済・政治は危機である。
誰も管理する事が出来ていない。
こんな状況の中で責任の所在なんて叫んでみても仕方がない。
諦める事だ。
今朝、食器の片付けの最中にMBSラジオ番組「ええなぁ~」の中で
番組司会者のウワちゃんの言葉がど~んと入って来た。
彼はギター好きらしい。
最近買ったお気に入りのギターのネックが折れたという。
それも、彼の嫁さんがスタンドに立て掛けてあったギターを倒してしまい、
ネックが折れたそうだ。
そのギターの修理が程なく仕上がる。
さて、その修理の代金を嫁さんに請求しようかどうかを迷っていると喋っていた。
暫くしてのリスナーからのコメントも面白かった。
フィフティ・フィフティが多かったかな。
俺もコメントを出してやろうかなと思ったが、大人げないので止めた。
あるリスナーが野村のヨッちゃん(元たのきんトリオ)が常々言っている
「自分の大好きなギターなのであれば、
そのような事にならない様に管理して置くことが大切。常に責任は自分にある」、
そのような言葉を紹介していた。
全く賛同する。
家庭の中は誰もが行き来する場所。
例え、自分の部屋であってもそうである。
嫁さんが掃除をしに入ってくるかもしれない。
部屋の電気が消え、暗いかもしれない。
引っ掛けてしまうかもしれない。
無論、悪意なんて微塵もない。
他人ではなく自分もそうである。
考え事をしていると、うっかりミスが出る。
ギターの事故で一番多いのはネック折れ。
ギターを立て掛けているとそうなる確率が高くなる。
窓際に立て、風で倒れた例もある。
掃除中に嫁さんが、というもある。
油断大敵ですぞ。
自分には起こらないと考えるのが人の常。
しかし、一寸先は、、、です。
一々ケースに仕舞い込むなんて面倒だし、邪魔くさい。
ギターなんてもの、チョッと手を伸ばせば何時でも弾けるという
非常にお手軽な楽器というのが共通認識。
確かにその通り。
でも、それが愛着のある愛器だとすれば如何でしょうか?
そりゃ、修理をすれば直ります。
上手く行けば跡形も分からないくらいにはなります。
しかし、それは結果論に過ぎない。
自分自身、そしてもし相手があれば、その人の心にも傷は残ります。
自分は面倒でも、一々ケースに仕舞い込みます派です。
一寸先は何が起こるのか分からない。
だから、少々面倒でも自分で出来ることはやっておく。
それでも事故れば、仕様がない。
諦める。
運がなかったという事。
貴方は「出しとく派?」それとも「仕舞う派?」。
愛器は絶対の必ず、ケースに仕舞わなければなりませぬぞ!!
私は阪神大震災で、その日その時から、住む所が無くなる程の被災をしましたが、ケースに入れていたおかげでギターは全て無事でした!!!
悲しいかな、現在のところ、この気持ちが本当に分かるのは、阪神地域と東北の方々だけとは思います。
しかし、この地震大国、日本に住んでいる限りは、明日は我が身ですぞ!
ギターを立て掛けておくなんて、もってのほか!
面倒でも、愛器は絶対の必ず、ケースに入れましょう!
手軽に弾ける云々なら、絃緩めないで出しておくって事になるんでしょうね。危険ですね。
ケースに仕舞うのが面倒なら、チューニングはもっと面倒だーー!!
と言いつつ、ダメだと思いながらも、留め金をとめない私です。
だって・・・カチャカチャすると留め金にキズがつくんですもの・・・
でも慌てて持ち上げたらギターがべろっと出て・・・って事になると留め金のキズなんて言ってられないんですけどね。
危機管理がなってないです・・・