2011年 12月 09日
「New フィールズ・ギター」 1 |
1996年に25年続いたフィールズ・ギターの生産は休止した。
休止の理由は煮詰まったとしか言いようがない。
ソモギ・ギターの場合も同じだ。
すべては自分の中で変化が起こったからである。
従来の音に対する疑問と言ってもよい。
勿論、ギターの音の事であるのはいうまでもない。
オールド・マーチン、グレーヴェン、ソモギそしてフィールズを扱ってきた。
どれも優等生の音がする。
只、どれも一つの線の延長上の音と思うようになってきた。
それともう一つの自分の中で芽生えつつあった
ソロ演奏に特化したギターを追求してみたいという
欲求がそうさせたのかもしれない。
ソモギにも変化を求めた。
グレーヴェンにもそうした。
特にグレーヴェンには12フレット接合のギターの製作を依頼した。
上手くいったと思う。
ソモギは確実に変化した。
大成功だったと思う。
しかしまだ何かが足りないと感じていた。
でも、まだ漠然としていた。
自分の中での新しいギター像に対する
明確なコンセプトが浮かび上がってこなかった。
2002年に吉田次郎との出会いが変化をもたらした。
もやっとしたものが消えてゆく感じがした。
吉田次郎氏はソロ・ギター奏者ではない。
彼は徹底的に弾き易さを追求し、ギターを道具として考える。
自分の思惑とも重なりあう部分が多い。
自分はソロ楽器としてのギターを追求している。
彼のプレーを目の当たりに見ると、自分の疑念は氷解していった。
先ずは道具に徹する。
いかに弾き易くするか?
弾き易さは全てのプレーヤーが求める共通概念だ。
各々のプレーヤーが求める弾き易さは多岐にわたる。
ネックの幅や厚みそして削りの形状等の問題である。
要は、好みなのである。
しかし、低い絃高は共通項だと思う。
しかし、ギターは絃高を下げると極端にパワーが落ち、音の張りを失う。
即ち、反応が鈍くなる。
この矛盾をどう解決するのか?
これを解決することがソロ楽器としてのギターという
命題への解答になると思った。
ただ、この解答はいろいろな矛盾を含む。
この矛盾に対する一つの答えがNew フィールズ・ギターの開発であった。
この章 つづく
by hirosanguitars
| 2011-12-09 13:46
| アコースティク・ギターと35年
|
Comments(4)
Commented
by
もーりす君
at 2011-12-09 14:00
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マーティン、グレーヴェン、ソモギ、フィールズの音が一直線上にしかないって、全部『ギターの音』一括りにして終わると思うのに、そこで疑問を感じるって処が凄いところですよね。
それに、PCは疎そうだけど、目に入る、耳に入るものはどんどん吸収していきはるし・・・
限界をきめつけない。疑問は追及していく。その姿勢を見習いたいものです。
なにも疑問を感じないところが問題ではありますが・・・
それに、PCは疎そうだけど、目に入る、耳に入るものはどんどん吸収していきはるし・・・
限界をきめつけない。疑問は追及していく。その姿勢を見習いたいものです。
なにも疑問を感じないところが問題ではありますが・・・
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hirosanguitars at 2011-12-09 15:36
なかなか上手く行きませんが、一歩づつ前に進みたいですね。
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by
面白い奴
at 2011-12-09 23:15
x
『ソロ演奏に特化したギターを追求してみたい』
ヒロさん、よくそんな恐ろしい決断ができましたね!
クラシックの店ならともかく、アコギの店で!?
需要が無いじゃないですか!?
ある意味で究極の隙間産業ですよ!
しかし、そんな無謀としか思えない決断のできるところが、僕のようなサラリーマンしかできない凡人とは違うところなのでしょうね。
アァァァー、サラリーマンは気楽でええわ(^◇^)
ヒロさん、よくそんな恐ろしい決断ができましたね!
クラシックの店ならともかく、アコギの店で!?
需要が無いじゃないですか!?
ある意味で究極の隙間産業ですよ!
しかし、そんな無謀としか思えない決断のできるところが、僕のようなサラリーマンしかできない凡人とは違うところなのでしょうね。
アァァァー、サラリーマンは気楽でええわ(^◇^)
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by
hirosanguitars at 2011-12-10 10:36
ここまで来たら、やり続けるしかないですね。