「ハンドメイド(手作り)の明るい将来」 2 |
アコギ界の底は浅い。
浅くならざるを得ないと言ってもいい。
ジャンルが多すぎて分散しすぎている。
例えば、フォーク、ブルース、ラグタイム、ブルーグラスなどが
直ぐに思い出される。
それに歌ものが加われば組み合わせは大変である。
それぞれのジャンルには昔からのスターというか憧れのレジェンドが存在する。
そして、それらの音源も存在する。
当然、その影響を受ける。
ひとたび、その影響を受けてしまうと真似(まね)をしたくなる。
自分もそうであった。
伝染病みたいなものだろう。
そこから離れ、別なこともあると信じ、進んで行ける人もいる。
免疫が出来るといってもいい。
その反面、そこから離れられない人もいる。
実は、離れられない人のほうが多数派だろう。
善し悪しではない。
人には好みがあるから仕方がない。
当たり前のことであるが、
われわれが強い影響を受けている音楽の発信源はアメリカである。
当然、音源として残っているギターの音はアメリカ製のギターからである。
今も昔もその図式は変わらない。
憧れの、あるいは何時かは持ちたい夢のギターである。
憧れのアメリカ音楽=憧れのギターへと描かれる図式は
簡単に崩れるものではない。
特に我々おっさん世代には強烈な憧れとノスタルジーが残っている。
どうしようもないであろう。
今さら、もう一度訓練して新しい音楽を目指そう
と、掛け声をかけたとしても誰も付いてくるとは思えない。
それどころか反発を食らうのが関の山であろう。
やはり若い人たちに期待をしたほうがよさそうだ。
日本の音楽消費そしてギター消費はかなりの量だと思う。
何しろ世界第2位だ。
只、消費を誇ってもなんにもならない。
中身の充実の方が大切だし、急務だといえる。
では、消費量が世界第2位だとすれば、
アコギは産業と成りうるのか?
素材の自給率は0%である。
自動車産業や家電産業もほぼ同一条件である。
しかし、自動車や家電産業は大きく育ち、
いまや世界産業である。
かたや、ギター界はどうだろう?
比べる事がそんなに意味があるとは思えないが、あまりにも差がありすぎる。
1960年代から1970年代にかけて
物凄いブームがあったことは我々の世代の誰もが知っている。
そのブームをきっかけに産業として自立し、
成長を持続する事は困難だったのであろうか。
いまさら何を言っても仕方がないことではあるが、
多少の総括は必要だろうと思う。
自分もその真っ只中を歩いてきた一人である。
この章 つづく
あくまで観賞用のようでしたが、どんな音なんでしょうね。鳴るんですかね。
音色その他、耐久性等考えると、先人も試行錯誤の上で、現在に至ったわけなのですから、先人に倣うと間違いないですからね。
なかなか突拍子も無いことはできないですよね。
遊びで作っても面白いでしょうけどね。
遊んでいる間があれば、予約をこなしていってもらわないと!