「百年後のギター」 |
グループ会議などで問題解決法を探る手法である。
各自が思いつくままにアイデアを出す。
一つ一つのアイデアを検討する。
その流れの中で解決方法が浮かび上がってくる。
ブログネタの行き詰まり解決法として
「四苦八苦用ブレーンストーミング」と題してメールを頂いた。
千葉に住むSさんからである。
その中に「100年後のギターを空想してみた」と云うアイデアが目に留まった。
以来、考え続けていた。
100年後とは未来の事である。
空想も出来ない。
未来を考えるには現在から過去へと遡る事が必要だ。
過去とは歴史である。
ギターの歴史は紀元前2500年のシュメール文明に遡るとされる
が定かではない。
絃を張り、小箱で鳴らす楽器の存在はあった。
古代エジプトの壁画にはギターの原型と推測されるものが描かれている。
以来、ヨーロッパ各地に広がり様々な撥弦楽器へと進化した。
現代ギターの祖はナイロン(ガット)絃ギターであればアントニオ・デ・トーレス。
スチール絃ギターであればクリスチャン・フレデリック・マーチンである。
トーレスは従前のファン・ブレーシングの欠点を逆八の字形ブレースを
ギター下部へ持ってくる事により解決した。
マーチンはX形のブレースを考案し、後のスチール絃への布石を作った。
この2大発明は偶然にも1850年頃に考案され、今尚、主流をなしている。
約150年前に考案された構造は現在に至るまでたいした変化はない。
ナイロン絃ギターではグリット・ブレーシング、
ラティス・ブレーシングなどが考案されてはいるが主流ではない。
スチール絃ギターでも基礎のブレーシングは従前どおりX ブレーシングである。
スチール絃の張力に耐えるにはX 形を基礎にせざるを得ないのかもしれない。
ギターの形状を考える。
大きさといってもよい。
人類に変化はない。
体形においては背丈が伸び、
体格もよくなっている事は確かであろう。
しかし、ギターに変化を及ぼすほどの事はなかった。
D type の出現は1930年代のショービジネス音楽が求めた結果であろう。
基本的な変化は起こっていない。
絃長は645mm~630mmの範囲である。
14フレット接合であれば、せいぜい650mmが限界であろう。
左手の限界、そして張力に対する限界という意味である。
100年後も変らないだろう。
150年前から現代に至るまでの変化はさしてない。
未来への期待があるとすれば、
新しい素材の絃を開発して欲しい。
ギターは絃楽器である。
絃が変わればギターの構造は変る。
いや、変らざるを得ないだろう。
ブレーシング、素材、はたまた形状にまで変化をもたらすかもしれない。
もし、新しい絃が出現し、新しいギターが考案されたとする。
勿論、新しい音となる事は疑わない。
過去には星の数ほど名曲がある。
現在の人は過去の名曲を聴き、育つ。
そして新しい曲を作る。
やがてその中から名曲といわれる作品が残り、
未来へと受け継がれてゆく。
ギターの世界も過去から受け継ぎ、
現代へ至り、やがて未来を志向する楽器が生まれるだろう。
我々は歴史の流れの中で生きている。
歴史に参加しようと思えば、
過去を学び、
現代で思考し、
未来を考えてゆく事が大切である。
何故、名曲と呼ばれるものがあるのか?
何故、名器と呼ばれるものがあるのか?
を熟考していただきたい。
学ぶ事はまだまだあると思う。
100年後に名曲と呼ばれるにふさわしい作品を
100年後に名器と呼ばれるギターで奏でる。
100年後への想いは尽きない。
受け継がれて残っていくもの。
既存を打破してさらに進化していくもの。
両者は一見相反してしているようですが、実は共存し調和して全体になるのかなあ、と思いました。
しかし、人間自身の音楽に対する根本的な営みは、普遍的なもののようですね。
ブレーシングの変化は、ギターにとって生まれ変わるようなものなのでしょうか。
150年変化していないと云う事は、完成されたと受け止めるのは早計なのですか?