「Ervin V. Somogyi」 9 |
彼とのエピソードはあまりにも多すぎて語り尽せない。
「Ervin とギター屋としての自分との関係」の話に戻る。
要約すると、彼は製作家でギターを作ることが仕事。
ギター屋はお客様と対面しギターを販売する事が仕事。
当たり前といえば、当たり前の話。
何が言いたいのかというと実は存在意義のことである。
チョット硬い表現だと思う。
お許し願いたい。
特にギター屋としてのことである。
商売は売る事が第一義。
全くその通りだと思う。
製作家から預かった、あるいは買ったギターを売る。
それで双方が成り立つ。
それ以上、踏み込む必要はないのかもしれない。
しかし自分はそれでは納得しなかった。
もっと踏み込みたく思った。
厳しい目を養う。
そうすれば自分の扱う商品を鵜呑みにはしなくなる。
不具合、欠点を見抜く力をつける。
作りでも音でも、そういう目でみる。
もちろん、そういう目で見て行くと、他と比較する力がついてくる。
もっといいところも見えてくるようになる。
例えば、不具合がみつかるとする。
修正をすればいい。
修理といってもいい。
国内の製作家であるならばその人に言えばいい。
製作家にもプラスになる。
そのときは労力がいる。
しかし、二度と同じ過ちは繰り返さないと思う。
これは必ずプラスに向かう。
この労力を厭うような人であれば将来は非常に暗いとしか言いようがない。
これが海外のギターであれば厄介である。
修正、修理を売り手が自前でしなくてはいけなくなるからである。
Ervin は謙虚な人である。
例えば、彼のギターに不具合があると指摘したとしよう。
徹底的に聞いてくる。
どこが、どの様になっているのか?
当方もその問いに答える。
正直、しんどい。
でも、自分が指摘した事だ。
そんな事はいっていられない。
英語の表現の勉強になると思ってやっていた。
次からは修正してくる。
当のギターはこちらで修正する。
これらの仕事は松永さんが受け持ってくれた。
次第に当方にもノウハウやデーターの蓄積が出来てくる。
労力を厭はないほうが、結局は得であることが分かる。
構造の事でもそうだし、音の事もそうだった。
こういう仕事を通して勉強したことが今の自分を造ったと思う。
いいも悪いも含めてだが、、、、、。
彼とのコラボの最大の転換期は1997年に訪れた。
自分の中で変化が起こっていた。
今までのソモギ・ギターの音に何かが足りないと思った。
確かに素晴らしい音なのだが、
自分にはマーチンの延長線上にある優等生の音だと思うようになっていた。
Ervin に思いをぶつけてみた。
どうも彼も同じ様に思っていたようだった。
変化させよう。
ラティス・ブレーシングを変化させ、
X ブレーシングの中に取り込むこととなった。
ある程度の完成域に達するには4~5年かかったと思う。
音量はいうまでもないが、
ふくよかな響きの中にある凛とした
中高域の伸びやかな音のひと粒、ひと粒。今までにない音だ。
彼の研究熱心さに脱帽した。
ここまでのダイナミックスを持つギターであれば
もっとバリエーションを加えたくなった。
これまではDtype が主流を占め、素材もローズ系に偏っていた。
思い切って、00type , 12フレットtype
そしてメープル、マートル・ウッド
そしてキルティッド・マホガニーのギターも発表した。
なかでも、スロティッド・ヘッドは斬新なデザインに仕上がったと思っている。
この章 終り
続きが早く読みたいです(^_^)