「カンツォーネ」 |
日曜日にアップする予定のブログ原稿を手短に纏め、
添付する写真を忙しなく処理した。
時計を見ると午後5時過ぎ。
ブラインド越しに見える空には薄ぼんやりとした青みが残っている。
確実に日は伸びているようだ。
髭を剃りながら、カンツォーネを口遊み始めた。
何故カンツォーネなのかは自分自身でも分からない。
洗面台に向かうと独りでに何かを口遊むのだが、その日によって違う。
演歌の時もあれば、カントリーの時もある。
何かの弾みでそうなるのであって、然したる理由はない。
カンツォーネを口遊むと中学生の頃を思い出す。
当時はボビー・ソロとかジリオラ・チンクエッティーの歌がお気に入りであった。
確か翻訳した歌詞がジャケットの裏に印刷されていた記憶があるが、
歌を覚えるには翻訳したものではどうしようもない。
だからカンツォーネに関しては音で覚えた。
そんな記憶が蘇ってきた。
話は10年後に飛ぶ。
当時オックスフォードで暮らしていた。
そこでは洞穴パブというものが流行っており、
知り合いのイタリアの女の子とよく其処へ飲みに行ったものだ。
彼女からイタリアに関しての質問を受けたことがあった。
名所、旧跡、人名と知っている限りを伝えたが、
その中で一番受けたのがカンツォーネである。
「ナーポリー・フォルツーナミアー・メラースクルダートケアー・パットリーチター」
と、中学生の時に覚えたジリオラ・チンクエッティーのヒット歌を恥かし気もなく披露し、
止せばいいのに、序でにとばかりに、ボビー・ソロの歌を
「センピアンジェ・アモーレ・ヨピアンジョコンテ」
と疎覚えのイタリア語の歌詞で歌った。
40年も前に過ぎ去った遠い思い出を振り返りながら口遊む洗面台の鏡に映る顔はにやけている。
その時、傍らの携帯電話がけたたましく鳴った。
実家の兄からの、母の様態の変化を伝える電話であった。
ノロウイルスが流行っているらしく、
母がお世話になっている施設でも、厳戒態勢を敷いているという。
それ故面会も出来ないそうだ。
気は急くが止むを得ない。
今の俺があるのは実家のお陰だと思っている。
にやけた青春もそのお陰だ。
薄ぼんやりした夕暮れの空を眺めていると、
遠い昔がその中に吸い込まれて行きそうな気がする。
静かに、そしてゆるりゆるりと、暮れ泥む空を慈しむように、そっとブラインドを閉じた。