「底なし沼」 5 |
「よう喋ったなぁ。喉が渇いたしもうたわ。チョッと休憩しょうか、、、」
爺さんはハイバックチェアーにどかっと腰を下ろし、
背凭れを深く倒し、フゥ~と溜息を漏らした。
「コーヒーでも淹れましょうか?」
空かさず俺はソファーから立ち上がり、キッチンへと歩き始めた。
正直、頭の中はかなり混乱していたので、キッチンにでも行って間を空け、
整理をしたかったのが本音だった。
「えらい気が利くやないか」
背後から笑い声と共に爺さんの声が追っ掛けて来た。
爺さんの言う事に異論はない、寧ろ正論だと思う。
しかし、製作現場というか、ギターを生業にしている若輩者からすれば、
綺麗事過ぎるように思え、何かもどかしさだけが残り、心に引っ掛っていた。
普段より時間を掛け、ドリップにお湯を注ぎ、その引っ掛かりを探ろうとするが、
結局は解からず仕舞いだ。
「爺さんにぶつけてみた方が手っ取り早いかもしれない」
そんな思いが過ぎった。
淹れたての熱いコーヒーを爺さんの仕事机の上に静かに置いた。
コロンビア豆の香りとパイプ煙草の残り香とが混ざり合う不思議な世界だ。
しかし俺はそんな優雅な気持ちに浸れない。
早速爺さんに俺の蟠りをぶつけた。
時折コーヒーをちびちび啜りながら、手元にあったパイプを引き寄せ、
掃除をし始めた爺さんは 「おいおい、そんなに急かせなさんな」 と手を振った。
そして独り言のように小声で語り出した。
「儂の意見なんてワン・オブ・ゼムや。正解でも何でもない。
経験から得たちっぽけなもんにしか過ぎん、
まぁ参考になれば幸いですと言うくらいのもんなんや」
「要は自分の理想に向かおうとすれば、アプローチの仕方は人其々や」
「しかし、物事にはベーシックというか、基になる考え方が存在するんや」
「そこを押さえとかなあかん。儂はそう思うけどな」
緩やかな口調で語り始めたが、次第次第に熱が籠り始め出し、
何時もの爺さん節に変わっていった。
お客さん、或いはプレーヤーは数え切れない程いる。
そして各人各様の思いがある。
それはギターに振り向く視線は無限にあると云う意味であろう。
一つ一つの想いに応えるのは至難である。
よって、ある程度は集約せねばならなくなるのは必定である。
と、そのような理屈で爺さんの論理が展開されたのだが、
此処で云う 「ある程度の集約」 と云う言葉が
「ギターをギターとしてしか、、、」 という言葉へと次第に結び付いて行くのだが、
俺は爺さんの言葉に呪縛され、身動きが取れない儘、
沼の底に引き摺り込まれて行くようなおどろおどろしさを感じ始めていた。