「風の詩」 |
「私、その曲好き、、、」
ミーちゃんはエプロン掛けの姿のままソファーに腰を下ろし、手を膝の上に重ねた。
背筋を伸ばし、頭を少しばかり傾げ、目を閉じ、静かに聴きながら、ポツリと呟いた。
俺の嫁さんの名前は美代子、ミーちゃんと呼んでいる。
俺は良雄、ヨッちゃんと呼ばれている。
幼馴染で同級生。
大学を出て直ぐ当たり前のように結婚した。
10数年間子宝には恵まれなかったが、3年前に念願の男の子を授かった。
昂(のぼる)と名付けた。
夕食を終え、子供を寝かし付けた後がギターの練習タイムだ。
どんなに仕事で疲れていようが、一日一回は必ずギターを手に取るように心掛けている。
そう、ギター屋の爺さんから洗脳されたからだ。
土曜日の夜はミニ・コンサートの日。
観客はミーちゃん一人。
仕舞い事を終えると必ず俺の前に座り、目を閉じ、静かに聴いていてくれる。
これも爺さんからのアドバイス。
「噂のギターショップ」
というムック本の中で紹介されていたお店へ二人で入ったのが運の尽き。
ビルの一室にある怪しげなお店だった。
俺は躊躇し帰りかけたが、ミーちゃんは平気な顔でドアを開き、入って行った。
爺さんの講釈を一時間ほど聞かされた後、その店のオリジナルギターの試し弾きをした。
ギターの素晴らしさには感服したが、価格も立派。
それに注文製作だから数年待ちという事だったので半ば諦めて帰りかけようとしたその時、
それ迄何も言わず黙って聞いていたミーちゃんが口を開いた。
「私、その音好き、、、」
「ご主人が言っていることは本当だと思う」
「私のピアノの先生と同じ事を言っていた」
「ヨッちゃん、ご主人が言われていたように、出来上がるまでの間に練習したらいいと思う」
「お金もその間に貯めたらいいと思うよ」
あっさりと決まってしまった。
今更ながら女の人の決断は凄いと思う。
俺もそこで目からウロコが落ちたような気がした。
いいギターを手に入れる限りは練習を積まねば意味がない。
数年間は長いようだが、ワクワク感の方が大きかったからだろうか、案外短く感じられた。
ギターを手に入れてからは練習にもより熱が入りだした。
しかし子供が生まれた時にはさすがに練習量は減った。
でも家事の手伝いの手抜きはしなかった、そして弾き続けた。
偶にギターについての質問を爺さんに電話した折には、
必ず「おかあちゃんと仲よくしいや」
「手伝いするんやで」
と何度も言って聞かされたものだ。
「ヨッちゃん、段々上手になっているね」
そう煽てられると嬉しくて堪らない。
ドライブをする時には必ずリクエストをするくらい、ミーちゃんは「風の詩」がお気に入りだ。
今密かに練習を積んでいる。
今度の土曜日には仕上げて、お披露目をしよう。
「上手い、下手やないんや」
「気持ちを込めて、一音一音を大切な人や思うて弾くんや」
「弾き切るんや」
爺さんが口酸っぱく言っていた言葉を胸に刻みつけて、、、