「落とし処」 |
頭の中がぐるぐる回っている。
別に目眩がしているのではない。
ある思考が堂々巡りをしているだけである。
実は「落とし処」について考えている。
落とし処を失い、最も惨めな戦争という行為に走っている国や地域が未だ数多く存在する。
対立するのは正義と正義である。
と言うことは正義は一つではないという事を示している。
おかしな話だ。
要は対立する双方に言い分、即ち正義が存在するのである。
政治がイデオロギーに支配されるとそうなる。
犠牲者は置いてけ掘りを食らった民衆や兵士である。
対立からは何も生まれない。
憎しみ合いが残るだけ。
利害という欲が絡み合いとより一層根は深くなり、厄介事となる。
国同士となると国益という利害で対立する。
我々はそんな言葉で簡単に踊らされてしまう。
気を付けなければならない。
と、こんなことを考えていると、
急に「ギターの音」が「落とし処」という命題の中に割り込んで来た。
もう頭の中はしっちゃかめっちゃかである。
何の脈絡もない他愛のない事なのだが、出て来たものは仕様がない。
対立する言葉と言った方がいいのかもしれない。
例えば細い絃と太い絃、或いはロング・スケールとショート・スケールと言った類である。
絃高の高いと低いでもいいし、張り(テンション)が強いと弱いでもいいだろうか。
厚い・薄いもそうだし、重い・軽いもある。
サスティーンが伸びると詰まるもありだろう。
要はスペックとして示される言葉、そしてそれと同時に
音表現として使われる形容詞の事と思って頂いても構わない。
お気付きであろうが全て対立する表現である。
ギターという楽器にとっては全て大切な意味を持つ言葉であり、表現なのだ。
どちらがどうのこうのはない。
どちらも大切としか言いようはない。
天秤がどちらに傾いても良くない。
所詮人が決めることであるから、
最後の最後は好き嫌いという言葉で全ては決せられるだろう。
それは仕方がない。
しかし好悪を決する前にするべき事は銘記しておく必要がある筈である。
ギターであれば弾く訓練だろう。
政治のことはよく知らないが、新聞、テレビ等からの情報を吟味し、
自らの立場で鑑みることであろうか。
上手く表現できない難しい問題となってしまったが、
少しは整理がつき、先程来から頭の中を埋めていたモヤモヤは多少緩和されたようだ。
要は柔軟性とかバランスが大切なんですなぁ。
マル・ペケ論で片付けるのではなく、
第三の道と言うか「落とし処」を探る事が大事だと改めて思い至った。