「ジャム・セッション」 |
同じ選ぶなら、多くの中から選びたい。
誰しもそう思う。
しかし、いざその場になると、迷いに迷い、
挙げ句の果て後ろ髪を引かれつつ、その場を去る。
お客様に喜んで頂けるとの思いで商品の選択肢を増やした。
だが売れ行きは思うようには伸びない。
選択肢を絞り、数点とした。
結果数倍の売れ行きとなった。
この話はアメリカで行われた、購買者の心理をリサーチしたもの。
商品は瓶詰めのジャムである。
購買者の立場に立つとよく分かる。
目の前に20種類のジャムを見せられたとしよう。
「わぁ、沢山の種類があるんや」と感心し驚かされる。
しかし消費者は食べ物には保守的なもので、
知らない物への好奇心は意外と湧かないのである。
余りにも選択肢が多くなると、戸惑いの方が多くなり、結果購買意欲を削がれてしまう。
この話題は此度の選挙での政党の乱立模様を揶揄したもので、
多くのメディアで取り上げられている。
現在12の政党があるらしいが、12月4日の公示日までに何党に絞り込まれるのか、
はたまたもっと増えるのかは知らない。
常軌を逸した先生方の行動を傍観していると、自らの首を絞めているようにも思える。
このままでは投票意欲は削がれてしまい、有権者離れが起こるだろう。
政党はジャムではない。
ジャムは、美味いか不味いかは別として、食える。
しかし中身の見えない政党は煮ても焼いても食えん。
それどころか、食中りでもすれば取り返しがつかなくなる。
目を凝らし、匂いを嗅ぎながら吟味しなくてはならない。
今のこの国の状況からして、試食をする程の時間はない。
半世紀以上同じ物を食べ続け、いつの間にか生活習慣病となってしまった。
その挙句甘い言葉に乗せられ、お試し食いをしてしまい、
飛んでもない羽目になったのはついこの間のこと。
二極も、三極もあるまい。
一皮剥けば皆同じ顔だろう。
根は一緒。
我々とて同じだ。
「我が身の可愛さ」であろう。
綺麗事ではないが、それを乗り越え、
少しでも穏やかに暮らせる国を作ろうとする精神が政治であると信じる。
況してや軍だとか核武装とかを宣う輩に一票を投じる気はない。
これだけは心して置かなければならない事がある。
戦のための改憲は駄目である。
それと政治家は決して戦場には出ない。
勝ち戦であろうが、負け戦であろうが、最前線で血を流し、苦しむのは庶民である。
自分はそのような思いを持ち、一票を投じる。