「お祭り考」 |
「お祭りは恙無く終わったんか?」
実家に届いた書類を持参してくれた兄にコーヒを淹れながら訊ねた。
う~んと唸り、
「いや、そうでもなかった」
首を傾げ、天井を見上げた。
祭りのクライマックスは宮入り。
ダンジリを曳くもの、担ぐものに皆の目が注がれる。
威勢良く掛け声をかけながら鳥居をくぐり抜け、
境内中央の舞台の回りをこれでもか、これでもかという程に担ぎ上げ、曳き回す。
子供達も一世一代の晴れ舞台と言わんばかりに太鼓、鐘を打ち鳴らす。
夜の帳が下りると天神さんは真っ暗闇に包まれる。
照明は提灯と篝火だけ。
と、勝手に思っていたのだが、今ではダンジリにライトアップをしているらしい。
まぁ、少々拍子抜けしたが、それはそれとして、
光に浮かび上がるダンジリの姿は力強く美しく勇壮だ。
その姿を知る人はより張り切る。
ついつい酒を飲み、酔いしれながら担ぎ、曳く。
それでなければこの狂喜は出ない。
一人の男が倒れた。
歳は40過ぎ。
心臓発作だったらしい。
幸い一命を取り留め、大事には至らなかった。
このような騒ぎは各地で起こっているに違いない。
祭り故の出来事であるが、難しい問題を抱えている。
難しい問題といえば、ダンジリに乗り、太鼓、鐘を打ち鳴らす子供達の事だ。
少子化がこの様な場面にも顔を出す。
元来が神事である。
女人禁制。
それが少子化で男の子が足りないのだそうだ。
町内の世帯数は約30軒。
旧町内は新陳代謝が起こらず、過疎化が進む。
「今年は、女の子が一人参加したで」
苦笑いを浮かべながら、コーヒーを飲み干した。
「最初となる人は大変やで」
「きちっと練習して叩きや」
「せやないと、後が続かんからな」
今年初めて参加する女の子に諭したという。
見事、叩き切ったらしい。
「ひょっとしたら、そこら辺の男の子よりしっかりしてるで」
兄は満足げに煙草を燻らせ、コーヒーをもう一杯所望した。
華やかなお祭りは見ていて楽しい。
しかし、その舞台裏は様々な問題を抱えている。
そのことは忘れてはいけない。
一方通行では長続きしない。
観る側,見せる側、双方の理解があってこそのお祭りだ。
こういう伝統は一度消えると復活は困難となる。
旧市内、ニュータウン皆が寄り添って盛り上げれば、祭りはより楽しくなると言うものだ。
お祭りとはいいものであってほしい。