「変化」 |
相も変わらず同じ事を繰り返している。
生活の流れの中では、知らず知らずのうちに起こっている変化に疎くなる。
恙無い平穏な毎日。
それがどれ程幸せであるのかも気付き難い。
身の周りに起きた変化。
自身も含め、家族の誰かが病気になる、或いは怪我をする。
これらの変化には直ぐに気付く。
しかし、当たり前のことには気付き難いものだ。
当たり前とは恙無く同じことを繰り返していること。
平和な状態といってもいい。
そう云う意味からすれば「変化」とは良くない出来事なのだろうか。
人は生来保守的である。
変わらないことを望む。
そして個人は脆いと云う事も心得ている。
故に組織(システム)を構築する。
生来が保守的である人々が集まり、システムを築き上げれば、
当たり前の事としてシステムはその存続を図るために超保守的になる。
変化を嫌う。
システムとは変わらないことが前提として構築されているので、
そこに変化を与えようとしても不可能だろう。
小さなセクションならば多少の変化は起こすであろうが、
全体を揺り動かすことは期待できない。
寧ろ、やがて組織そのものに飲み込まれていしまい、元の木阿弥となるのが必定。
国家・官僚組織などがその最たるものだ。
民間の大会社も同様だろう。
己自身を考えてもそうだ。
自らが変わるという事は結構勇気がいる。
何事もなく、優雅に暮らせれば、そんなにいい事はない。
が、そう上手く事が運べりゃ苦労しない。
自分では変った積もりでいたとしても、性根までは変わらない。
近頃、特にそう思いかけた。
でも諦めてはいない。
努力はしている積もり。
そのキーワードは「いい方に捉える」かな。
変化をネガティブに捉えれば切りがない。
寧ろ、変化をポジティブに捉え直し、変化を受け入れ、新たな発想で進めばいい。
そういう柔軟性が必要だと思う、今日この頃である。