「虚構」 |
虚構とはフィクション。
作り事のことである。
小説とは作者の想像力と虚構で社会を脚色し、
人間そのものを追求する文学形式と辞書にあった。
玄さんから電話が入った。
2弦がビビると言う。
5時以降に来て欲しいと頼んだ。
お散歩タイムを確保するためである。
5時キッカリに来た。
早速チェックしたが、それほど異常は感じられなかった。
少しばかり2弦の溝が磨り減っているのと、3~5フレットが磨り減っている程度だ。
ネックには異常はない。
気にするなと言って後は世間話。
彼はカメラに嵌っている。
高校時代はカメラ部に所属していた。
将来の凝り性が頭を擡げ、デジカメ&レンズの最高機種を揃えた。
昔から彼は何度もデジタルでは辛酸を舐めている。
エフェクター類の病気は治まったが、今度はカメラの病に取り憑かれた様子だ。
最新機材の性能を聞くと「嘘っ!」と叫びたいくらいのものだ。
ISO感度が何万でノイズがないという。
薄暗い中でもバッチリ撮れるらしい。
俄には信じられない。
ピント画像も分割・拡大が出来るので「ビシ・ビシに合うで」と頻りに誘いを掛けてくる。
こちらの機材凝り症はとうの昔に知られている。
どっこい、その誘いには乗らない・乗れない。
悔しいかな、先立つものがない。
考え込んだ。
彼が披露した超高性能機能の中にシャッターを3連射云々という話があった。
3枚の写真の写りのいい部分が合成され、質感溢れる仕上げになるという。
「へぇ~!」と言うしかない。
風景写真でも人物写真であっても、
撮影の妙は光が織り成す一瞬を切り取るセンスだと思っているのだが、
昨今は機械がかなりお手伝いをしてくれるらしい。
結果、いい写真が撮れたと満足する。
それに尽きるのは分かっている。
写真作品とは誰が作るのだろう?
カメラ?
レンズ?
はたまたパソコン?
全てに精通する技術か、、、
写真芸術とはそういう物なのだろう。
そう言えば、音楽にも共通するところが多くある。
デジタルなしではもはや成立し難い。
大きなイヴェント(大音響)になればなる程、デジタル技術なくしては如何しようもない。
録音現場も然り。
写真の世界では光と人間の目の間にカメラ・レンズという物が存在し、
音響の世界では音と人間の体(耳も含む)の間に機材で調整された空間を介して成立する。
決して嘘の世界ではない、しかしそこに虚構めいたものを感じてしまう。
人間が出来うる能力とはどのくらいなのか?
機械の開発能力もその一つ。
それ等を使い切る能力もそうだろ。
虚構の世界であっても、人々がそれに幸せを感じ取れば、それはそれでOKだろう。
宗教等はその典型だ。
俺も前向きに検討しよう。
ただし、嫁には内緒です。
きっとより良い機材を手に入れればもっとイイ写真が撮れる。
そう思う、キョコウこの頃です。<(_ _)>