「川の辺のギターショップ」 |
「裏甲(バック)」
難なくカーフ・ライニングを張り終えた。
次は裏甲作りだ。
キットのトップとバックは予め剥ぎ合わせは出来ている。
今後は剥ぎ合わせの技術を習得しなければならない。
キットの力木(ブレース)はほぼ整形されているのでただ張り付けてゆく作業の連続。
しかし音作りの観点からすると物足りなさを感じる。
爺さんに言わせると「未だ100年早い」の一言で片付けられてしまうであろうが、
気に掛かる。
とにかくギター作りの手順を覚えるのが先ず第一歩なので仕方がない。
でも気になる。
思い切って訊ねよう。
爺さんは机に向かい難しい顔をして書類と睨めっこしている。
机のあちこちに書類を並べ、
領収書を天眼鏡を使いぶつぶつ文句を言いながら帳簿に書き込んでいる。
「あの~」と遠慮がちに声を掛けた。
怒鳴られる覚悟はしていたが以外にも鼻眼鏡で振り向いた顔は笑みを浮かべていた。
「なんや、用事か?」と優しい声が返ってきた。
「わしもそろそろ切りがええ所で止めようと思とったんや」。
キットからのギター作りは決められた手順の連続だ。
でも音創りへのアプローチは出来ない。
勿論、未だその段階でないのは百も承知なのだが、
音創りが出来て始めてギター職人だと思うようになって来た。
このもやもやを爺さんに伝えたかった。
「そうか、そう考えたか」と言って天井の一点を見詰めている。
口を一文字に結び、奥歯を噛み締め、顎を突き出し、目を閉じる。
爺さんが深く考え込む時の癖だ。
暫しの沈黙が俺には長い時間に感じられた。
もう一度「そうか、そう考えたか」と呟いた瞬間、
「わかった。今は手順通りに進めたらよい」
と大きな声で俺を睨み付けながら、膝を大きく一つ叩き椅子から立ち上がった。
熊歩きを始め、「一つ忘れたらあかんことがある。これが大事な事やで」
と言った後
「あんた、ノートに付け取るか?」
「今までの作業で気付いた事をや」
と顔を近づけてきた。
俺は思わず首を振った。
「そうか、それは仕方がないことやけどな」
「これからは疑問に思ったことや、こうした方がええのになぁ
と思ったことをノートに書き記しとき」
「後でこれが財産になって行くからな」
と優しく諭すようにじっくりと言葉を区切り区切り
俺に向かって厳しい視線を送りつつ歩いている。
もう一度、「大事な事やで」と繰り返した。
俺はそんなに深い意味で訊ねた積りはなかった。
だから、爺さんの反応には正直戸惑いを覚えた。
ただただ肯いているのが精一杯だった。
このとき以来俺はメモ魔になった。
やっと気付いたといってもいい。
キットを組み上げて行く中でも将来へのヒントは幾らでも転がっている。
湧きあがった疑問は何に対してか?
こうすれば如何なって行くのか?
これ以上すれば、これ以下にすればという分からない事は沢山出て来る。
将来自分で設計し、組み立てて行く際に試せばいい。
失敗すれば改良すればいい。
上手く行けば、それをもっと能くするには如何すればいいのか。
いい意味での欲が沸いてくる。
要は考えるヒントを積み上げてゆく事の大切さだ。
つづく