最終章 「ひとつひとつの思い出」 3 |
高校生からギターを始めた。
ベンチャーズがやりたくて、エレキギターを買った。
何も知らずに買った。
実は、自分は左利き。
基本的にギターは右利き用に作ってある。
絃を逆さまに張ればよいだけと思っていた。
チューニングも合わない。
ズーと首をかしげていた。
同じクラスにN君がいた。
彼はギターが上手いと聞いていたので相談をした。
家に来てくれた。
ギターを始めてまだ日が浅いから右で弾いた方がよいとアドバイスを受けた。
教えてもらいながら、少しずつ慣れていったが、あまり身が入らなかった。
どちらか言うとラジコンの方に力が入っていたようだ。
もともとは歌が大好き人間なのだから、もっぱらコード弾きが中心となっていった。
バンドを組もうとは思はなかった。
やがて、受験があると言う事でギターの方は中断気味となった。
しかし、ラジコン熱は冷めなかった。
おかげで、受験は失敗し、浪人生活となる。
神戸の予備校へ入った。
田舎から町へ出たのである。
見るものすべてが違う。
全く違うところから生徒が集まる。
いろいろな出会いがあった。
全く勉強はしなかった。
遊びに遊びまくった。
しかし、何とか受け入れてくれた大学はあった。
大学生活も出鱈目であった。
よく遊んだ。
その頃にバンドを組んだ。
高校時代の友人達とだった。
リードギターを弾くF君はおとなしい性格であまり目立たなかった。
一人でこつこつとやって行く職人タイプだ。
無茶苦茶、上手かった。
しっかりと訓練していれば、間違いなくプロとして通用したと思う。
手先が器用で無線機やアンプ類も自作していた。
今思い出しても凄い奴だと思う。
その後、社会人となったO君と出会った。
彼は高校時代からギターを弾き、3年生の時には文化祭でバンド演奏を披露した。
確か、リードギターを弾いていたと思う。
彼は社会人バンドを組んでいた。
ボーカルを探していると言う。
誘われた。
二つ返事でOK。
社会人バンドはいい機材を揃えていた。
いろいろな場所で演奏をした。
しかし、2年程度で解散。
仕事の都合が出て来る。
仕方がない。
機材は譲り受けた。
家に持って帰り、玄関に据え付けた。
数百ワットクラスのアンプだったので、凄い音量がする。
新たにメンバーを集め、それらを使って玄関先で演奏した。
近所の人たちが集まって来て聴いていた。
勿論、フル・ボリュームではない。
しかし、かなりデッカイ音だったと思う。
毎日、練習していると近所のオバチャンが
「ヒロちゃん、だんだん上手になってるなぁ~」といってくれる。
また、調子に乗る。
調子に乗った馬鹿が引き起こした極め付けの話がある。
つづく
右利きは右手が器用だけど、ギターって左手の方が器用に動かないとダメじゃないですか。
弦楽器ってみんなそうですね。
なんなんでしょう?
音を出す主導権が利き手にあるってことでしょうか?
でも、面白いもんで、いくら左手で電卓を練習してもどうもならなかったのに、ギターを初めてからそんじょそこらの人の右打ちには勝てるぐらいの速さで打てるようになりました。
次はお箸に挑戦しようかな・・・そんな暇あったらギターの練習でしたか(笑)