「震災」 2 |
「出直そう!」宣言の2日後に電話が復旧した。
鮨やのオヤジ、鶴さんに電話をした。
「生きてたか?」、
「大丈夫や!」と元気な声で返ってきた。
「スカイビルは立っとるんか?」、
「なんともない!あんたのビルも立っとるで!」。
耳を疑った。
ひょっとしてギターも無事かもしれない。
小さく息を呑み込んだ。
安堵感と共に力が抜けてゆく。
「どなしたんや?」、
返す事が出来ない。
数秒の沈黙のあと、
「ありがとう。みんなも無事か?」と訊くのが精一杯だった。
鶴さん家族の無事を知り、電話を切った。
窓の外を見ると、差し込む光が少し眩しく感じた。
家族に朗報を伝えた。
皆、ホットした。
家族に笑顔が戻った。
現実はそんなに甘くはなかった。
翌朝、義父から電話が入った。
所用で神戸駅近くに来たらしい。
ついでに、ビルの様子を見に行ってくれた。
まさに実況中継だった。
「今、ビルを見てるんやけど、
確か冨田さんの部屋は7階だったな。
南面やな?」、
「ハイ、そうです。」
「アレ~?、、、、隣のビルの給水タンクが、、、、」といわれた瞬間、
嫌な予感が走った。
「まさか!」、
実は、そのまさかであった。
隣に4階建てのビルがある。
その屋上に給水タンクが立っている。
それが倒れ、事務所の窓を突き破っていたのであった。
「え~ッ!」、瞬間、目が眩み、電話口にしゃがみこんでしまった。
「判りました。ありがとうございました」というのが精一杯だった。
水はギターにとっては大敵だ。
何とかしなくてはならない。
一刻でも早く行かねばならない。
車では、とてもじゃないが、無理であった。
震災から数日後の道路は
凄まじいばかりの混乱状態をなしていた。
義父から電話をもらった前日、
トイレ用水確保のため、
近所の小学校のプールへ、お隣の人と共に水汲みに行った。
ほんの数百メートル。
車で数分の距離だ。
行きは楽々。
しかし、帰りは想像を絶する渋滞に巻き込まれてしまった。
家まで、あと200m。
信号の3m手前で止まった。
信号を超えるのに2時間。
次の信号までの150mを4時間。
家にたどり着いたのが6時間後だった。
郊外から市内に向かう車が異常に増加したのに加え、
市内の信号が機能不全となっており、
道路秩序をなくしていたのだ。
つづく
何か隣の人に嫌われてなかったっすか?
なんて言えるのも、神戸の街が復興して、ヒロさんが親父ギャグを飛ばしていられるからなんですけどね^^;