松永さん 2 |
中国自動車道がある程度西へ伸びていた時代である。確か、北房インターで降り新見を
通り南へ下りてゆくルートで行ったと記憶する。4時間程度かかった。山道で車が
一台しか通れない、対向車が来たらどうしよう、と不安感一杯の道中だった。
極め付けが最後の20mであった。彼の家に入ろうとすれば、道幅約2m、右は壁、
左は田んぼ。左右10cm程度の余裕しかない細い道。元来、方向音痴で車の運転が
下手な者からすれば、まさに拷問のようなものだった。一度目は何とかクリヤーできたが、
今後の自信がない。この後、この細い道の手前にあるスペースに車を留める許可を
取って頂いた。我ながら情けない話である。
最初に「お伺いしたい。」との電話をした時に、こうおっしゃっておられた。
「こんな処でギターを作っているのかと知られたら、夢を壊されるで。」と。
狭いという意味である。
本当に狭かった。「えっ、このスペースで作業が出来るの?」と正直思った。
勿論、塗装とか乾燥スペースは他にある。彼は木材、それに付随する機械「御宅」である。
納屋の作業場には機械がたくさんある。軒下には木材が処狭しと積上げられている。
「いつ使うの?」と尋ねると「分からん!」の一言。いいのが出ると、買ってしまうらしい。
何時しか彼の病が自分にも感染してしまったようだ。「一病息災」、この病気のおかげで
今まで生きてこられたと思う。
つづく
地図で確認すると、伊予部山から真東、川を挟んで直線距離2キロほどの位置に、
松永ギター製作所があるので驚いています。
たぶん仕事現場から製作所が見えたでしょう。(田んぼの多い地域ですね)
松永さんの近くに居る認識を持っていなかったことが、今にして残念です。
中国道から地道だと大変な山道ですね。当時なら日帰りは厳しかった?ですね。